じいちゃんは婆ちゃんを度々病院に連れていくことがあった。
体が弱い上に、治りが遅いと直ぐに病院を変えてしまうからだ。
30年以上前の当時は待ち時間が異常に長く、6時間待ってようやく診察なんてこともざらにあった。
しかし彼には婆ちゃんに対する情など存在しない。
時には車で1時間かかる病院であろうと平気で置いていくのだ。
小学校の頃だったか、家に帰るとじいちゃんだけが帰っており、婆ちゃんの姿が見えないので、
「婆ちゃん来ないけどどうしたん?」
と聞いたところ、
「あんなん、いつまでもグズグズしてるから置いてきたんだ」
と一言。
車も運転できず、駅からタクシーだとかなりお金がかかるので乗せて行ったはずだが、じいちゃんに対する怒りより婆ちゃんが心配で仕方なかった。
もう夜になっていたので病院も電話に出ず、帰ってきたのは9時すぎだった。
駅まで徒歩で行き、そこから住んでいる村の駅で降りるはずが寝過ごしたそうだ。
結局終点駅の車掌さんが可哀想だからと車で送ってくれたのだと後で聞かされた。
そこからまた、じいちゃんに対するろくでなし扱いが始まった。
だが私も被害にあったことがある。
子供の頃の私は鼻炎がとにかく酷く、何かあればクシャミ鼻水に悩まされていた。
だから耳鼻科にもよく連れていかれてたものだ。
ある日仲の悪い2人に定期通院で耳鼻科に連れていかれた日のことだ。
じいちゃんが居なくなった。
「じいちゃんどこに行ったん?」と婆ちゃんに聞くと「あれ?どこいったんだろ!?あのバカまさか!」
そう、そのまさかであった。
その耳鼻科は車で30分だったが、待ち時間がとにかく長い。また待てずに私たちを置いてったのだ。
その日婆ちゃんは「歩いていればじいちゃんがうちらを見つけるろう?」と言うので渋々歩いていた。
15分ほど歩いただろうか、じいちゃんらしき車が来た!と思った瞬間!
通り過ぎて行った…
大通りで私たちしか歩いているにも関わらず全く気付かない、 これには婆ちゃんを恨んだものである。
ただ歩くだけなら耐えられただろう、しかし私は花粉以外にも敏感で、排ガスやらホコリにも反応し涙とクシャミが止まらず、傍から見てれば泣きながら歩かされているように見えたかもしれない。
結局その日は2時間近く歩いて家まで帰った。
病院ネタでいうとババちゃが流血して帰ってきたことがある。
どうもよそ見をしていて急ブレーキをしたらしい。
彼はよそ見が圧倒的に多い。
シートベルトをしていなかったのかババちゃのメガネはヒビが入っていた。
彼は悪びれもせず、帰ってご飯を食べていた。
「あの腐れジジイ!!」
こういった罵りの言葉は数限りなく聞いてきた。
ここまで言わせるじいちゃんは、もはや変態としか思えなかった。
じいちゃんは以前「舟木一夫に似ている」と自分で言っていたが、確かに背は高く当時にしては珍しく170cmはあった。
鼻筋も通っており本人もいい気になってしまうのも仕方ない。
集落の慰安旅行や、職場の社員旅行の写真を見せてもらったことがあるが、一緒に写っている同年代の人たちとは明らかに背丈、顔立ちが違う。
周りは平たい顔族(テルマエロマエ)に見えた。
だからなのか、本人が年を取り、私が通院に連れてい行く時が多くなると決まって看護師に言うセリフがあった。
「俺はね、大東亜戦争に参加したんだよ!」
戦争の事は思い出したくないのかと思っていたが、意外とネタにする。
さながら合コンでの自己紹介だ。
「へぇ~三雄さんはすごいんだね~」
腰が曲がり、私と手をつないで病院に入ってきたのに、手を振り払って看護師と手を繋ぐのである。
デレデレしやがって。
ひどいときには両側に看護師がいて、手を繋いでいるというより連れられている「チンパンジー」に見えた。
私と二人暮らしの時には、たまに温泉や外食に連れて行くようにしていた。
特に理由はないのだが、私もいい年になり、親孝行のつもりも多少あった。
じいちゃんは刺身が好物だったので、回転寿司に連れて行くのだが困ったことに生寿司を食べようとしないのだ。
「おい、イナリ頼んでくれ」
必ずあの長い人差し指で私をトントンして小声で頼んでくる。
こちらは普段食べないものを食べさせてあげたいのだが、じいちゃんは違うらしい。
店でもイナリ、家でもイナリ…
イナリ野郎だ。
どうも刺身は刺身、ご飯はご飯で食べたいらしい。
何度連れて行ってもイナリなので、年寄りを差別しているように見られたくなかった。
私が今の妻と結婚当初、じいちゃんが食べれそうなもので、且つ自分たちが食べたいものをよく考えて作ってくれた。
その中でも印象に残っているのが「とり天」事件だ。
ある日曜、妻が鶏のささ身をタレに付け込んでおいたところ、事件は起こった。
「あれ?ここに置いた鶏のささ身みしらない?」
「いや?おいてあったこと自体知らなかったよ?」
妻は感づき、隣の茶の間へ駆け込みじいちゃんに聞いてみた。
「じいちゃん!?台所にあった鶏のささ身知らない?」
衝撃の一言が。
「ああ、そこにあった刺身ならおれが飯と一緒にくうだわ~、んめがった~」
美味かったという意味だが、そんなことはどうでもいいくらい驚いた。
「あれは魚でね~ぜ~!!大丈夫なん!??そんなに腹減ってたんなら言ってよ~」
その後腹が痛くないのか聞いても全く問題ないという彼を尻目に、妻はとり天を諦め、野菜天に切り替えた。
5に続く