私が中々相手を見つけない事にじいちゃん、婆ちゃん共に痺れを切らし、結婚相手を無理やり見つけて来た事があった。
開口一番
「いつうちらを楽にするんだ!?」
と言われた事につい腹が立ち、あれは売り言葉に買い言葉と言うのだろう、つい返した言葉が、
「今楽にしてやろうか!!」
だった。
彼らは即座に黙りこみ、普段仲が悪い癖にこんな時は2人でコソコソ話すのだ。
あの事は今でもハッキリと覚えている。
その後初めて家出をした。オトナ気無かったと思いつつ、「あの返しは良かった」と思い出してはクスリとしてしまう。
じいちゃんは家具職人の息子だったそうだ。
確かに手先は器用で、釣竿や、ドジョウを取る為の道具などをパッパと作り、私を連れて行く事があった。
しかし彼はスパルタであった。
というか自己満足が強く、私を可愛がってるつもりなのだろうが、「はよやれー!」と怒り顔で言うものだからこちらは全く楽しめない。
私の親は兄弟がおらず一人っ子だったそうで、しかも1人娘、じいちゃんは孫なら可愛がりそうなものだが、男の扱いに慣れていなかったのだろう。キツい当たりが多かった。
じいちゃんは海軍経験があり、上海まで進軍して行ったことがあったそうだ。
一緒に寝る前にふと、
「俺は上海のクーニャンとしたんだ」
というのだ。
「はっ?!」
何を言ってるのか全く理解出来なかった。
小学低学年の私に自慢したのだろう。あれは自慢にはならない。
アホである。
理解出来る歳になった頃、余計に呆れた。
私もその手の話は大好きだが、流石に息子にしようとは思わない。
多分戦争の嫌な事は話たくなかったのだろう。
「もう少しで腹にバクダン巻いて、特攻する所で戦争が終わったんだ」と皆のいる前で話していたことがあった。
婆ちゃんはそれを聞き、
「その時に死ねば良かったんだ」とクズな一言を言った。
「じいちゃん死んでたら俺産まれてなかったよ」と言うと直ぐに黙ったものだ
。
じいちゃんの耳が遠くて良かった。
仲が悪いにしても少しは気を使って欲しいものである。
少し私の親の話をしたいと思う。
祖父母は娘(私の母)をかなり甘やかして育てた様で、家をしょっちゅう飛び出したりと、若い頃には両親共に手を焼いていた様だ。
母親は婆ちゃん同様自己顕示欲が強く、他人からみたら非常識だと思う事も平気で言うような人だった。
人の意見には耳を貸さないので思い込みだけで物言いをするのだ。
私の父も婿だったのでじいちゃんと同じ扱いを受けていたらしく、物心着く頃には離婚していた。
だから父の記憶は全くと言っていいほど無い。
私にとって父親はじいちゃんなのである。
私は甘やかされず、娘の分も厳しく育てられた。
中学の頃には、彼らに注意する事もしばしばあった。
「孫に注意する立場だろう!何をしてんだ!」
この言葉が出る時は決まって夫婦喧嘩。
私がいない時に婆ちゃんがじいちゃんを罵倒し続け、我慢の限界に達したじいちゃんが殴り掛かるのである。
流石に警察を呼んだことが何度かあった。
ホントに疲れる夫婦。
私も厳しく育てられた反動で、家のお金を使い込む事があった。
「お前は前に農協の積立使い込んだよな」
忘れた頃にクドクドじいちゃんが言うので、畑に埋めてやろうかと何度か思う事があった。
その話を妻にした時、
「じいちゃんが生えて来るんじゃない」
と言われ、想像して2人で笑ったものだ。
3に続く。