二位ガン 呟く|ω・*)

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三番目の男 2

  私が中々相手を見つけない事にじいちゃん、婆ちゃん共に痺れを切らし、結婚相手を無理やり見つけて来た事があった。

 

 

開口一番

 

「いつうちらを楽にするんだ!?」

 

と言われた事につい腹が立ち、あれは売り言葉に買い言葉と言うのだろう、つい返した言葉が、

 

「今楽にしてやろうか!!」

だった。

 

彼らは即座に黙りこみ、普段仲が悪い癖にこんな時は2人でコソコソ話すのだ。


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あの事は今でもハッキリと覚えている。

その後初めて家出をした。オトナ気無かったと思いつつ、「あの返しは良かった」と思い出してはクスリとしてしまう。

 

 

  じいちゃんは家具職人の息子だったそうだ。

確かに手先は器用で、釣竿や、ドジョウを取る為の道具などをパッパと作り、私を連れて行く事があった。

 


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  しかし彼はスパルタであった。

というか自己満足が強く、私を可愛がってるつもりなのだろうが、「はよやれー!」と怒り顔で言うものだからこちらは全く楽しめない。

 

 

  私の親は兄弟がおらず一人っ子だったそうで、しかも1人娘、じいちゃんは孫なら可愛がりそうなものだが、男の扱いに慣れていなかったのだろう。キツい当たりが多かった。

 

 

  じいちゃんは海軍経験があり、上海まで進軍して行ったことがあったそうだ。

 

一緒に寝る前にふと、

「俺は上海のクーニャンとしたんだ」

というのだ。

 

「はっ?!」

 

何を言ってるのか全く理解出来なかった。

小学低学年の私に自慢したのだろう。あれは自慢にはならない。

 

 

アホである。

 

理解出来る歳になった頃、余計に呆れた。

 

私もその手の話は大好きだが、流石に息子にしようとは思わない。

 

  多分戦争の嫌な事は話たくなかったのだろう。

「もう少しで腹にバクダン巻いて、特攻する所で戦争が終わったんだ」と皆のいる前で話していたことがあった。

 

婆ちゃんはそれを聞き、

「その時に死ねば良かったんだ」とクズな一言を言った。

「じいちゃん死んでたら俺産まれてなかったよ」と言うと直ぐに黙ったものだ

 

 

じいちゃんの耳が遠くて良かった。

 

 仲が悪いにしても少しは気を使って欲しいものである。

 

 少し私の親の話をしたいと思う。

 

祖父母は娘(私の母)をかなり甘やかして育てた様で、家をしょっちゅう飛び出したりと、若い頃には両親共に手を焼いていた様だ。

 

 

  母親は婆ちゃん同様自己顕示欲が強く、他人からみたら非常識だと思う事も平気で言うような人だった。

 

人の意見には耳を貸さないので思い込みだけで物言いをするのだ。

 

 

私の父も婿だったのでじいちゃんと同じ扱いを受けていたらしく、物心着く頃には離婚していた。

だから父の記憶は全くと言っていいほど無い。

 

 

私にとって父親はじいちゃんなのである。

 

 

  私は甘やかされず、娘の分も厳しく育てられた。

中学の頃には、彼らに注意する事もしばしばあった。

 

「孫に注意する立場だろう!何をしてんだ!」

 

  この言葉が出る時は決まって夫婦喧嘩。

私がいない時に婆ちゃんがじいちゃんを罵倒し続け、我慢の限界に達したじいちゃんが殴り掛かるのである。

 

流石に警察を呼んだことが何度かあった。

ホントに疲れる夫婦。

 

 

  私も厳しく育てられた反動で、家のお金を使い込む事があった。

 

「お前は前に農協の積立使い込んだよな」

 

  忘れた頃にクドクドじいちゃんが言うので、畑に埋めてやろうかと何度か思う事があった。

 

その話を妻にした時、

 
じいちゃんが生えて来るんじゃない」

 

と言われ、想像して2人で笑ったものだ。

 

 

 

3に続く。

 

 

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